環境問題シリーズ Part10・煙草と環境 その2
株式会社エコニクス
環境事業部 技術顧問 大橋 弘士
芥川竜之介の「煙草と悪魔」によりますと、煙草は天文18年(1549年)に、イルマンの一人に化けてフランシス・ザヴィエルに伴って来た悪魔がもたらしたものとなっています。悪魔は、渡来して暫らくの間は肝心の誘惑する相手にも恵まれず、退屈紛れに園芸を始め、耳の穴の中へ入れてきた種種雑多の植物の栽培を始めました。その中に煙草も入っていました。数ヵ月後、この植物は茎に先に薄紫の花をつけました。そこに通りがかった牛商人が「その花は何ですか」と聞くのですが、黒い僧服に包まれた悪魔は、「これだけは教えるわけにはいかない。しかしご自分で当てれば、ここにある植物は全てあなたに上げます。当たらなかったら、私があなたに何かもらいましょう、期限は三日間です。」と言います。ここで、牛商人と悪魔の賭けが成立します。牛商人は一計を案じて、悪魔の裏をかき、その名前を悪魔自身に言わせて、その畑に生えている煙草を全て自分のものにしたということです。
牛商人が望みを果たした訳ですから、めでたし、めでたしとなるのでしょうか。
実のところ、悪魔は、牛商人の肉体と霊魂とを、自分のものにすることはできませんでしたが、その代わりに、煙草をあまねく日本全国に普及させることができました。「して見ると牛商人の救抜が、一面堕落を伴っているように、悪魔の失敗も、一面成功を伴っていはしないだろうか。悪魔は、ころんでも、ただは起きない。誘惑に勝ったと思うときにも、人間は存外、負けていることがありはしないだろうか。」というのが芥川の感想です。
アセトアルデヒドの製造に水銀を使って成功したことや、フロン類の発明、アスベストの利用が後々人の健康に被害を及ぼしたことはいうに及びません。新たな化学物質や科学技術の応用を目指す前には、十分すぎる事前評価が極めて大事というのが「煙草と悪魔」の故事から得られる教訓だと思うのです。
我々技術者は、目先の技術や現象だけに囚われず、その先を見通す力を備えるということが必要という訳です。
スクマネジメントの一般的な例
(原文:A General Model of Precautionary Risk Regulation