株式会社エコニクス 自然環境部
伊藤 尚久
コロナ禍中の今日、各種メディアがほぼ毎日報道し、我々も頻繁に使うようになった専門用語の一つがPCR検査ではないでしょうか?
PCRとは、ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction)の略語であり、試料中に存在する特定の遺伝子(DNAもしくはRNA)を増幅させる反応のことです。つまりは、非常に微量な遺伝子の存在を確認するため、ある程度の量まで増やす工程となります。
このPCRという工程によって環境中に存在するDNAを増幅させ、その情報から生物の生息分布状況の把握を可能にしたのが環境DNA分析技術です。“環境DNA”とは、海や川・湖沼・土壌などの環境中に存在する脱落細胞、糞などの排泄物、粘液などの分泌物、繁殖行動時の配偶子、死んだ個体の分解物といった生物由来のDNAを指しています。
1980年代、環境中に培養不可能な細菌が多数存在することがわかり、1980年代後半から90年代にかけ、水などの環境媒体からDNAを直接取り出す技術が生み出されました。つまり、培養という工程を経ることなく、そこに生息している微生物の存在を直接解析することが可能になったのです。この技術は、すぐに古代の環境サンプル(アイスコア、土壌コア等)中から微生物やマンモスといった古代生物のDNAを直接抽出・解析するツールとして適用されるようになりました。
上記技術を現生マクロ生物のモニタリングツールとして初適用したのはフランスの研究チームです。2008年、“外来種であるウシガエルの生息分布”に関する研究成果を報告し、これが大きな反響を呼びました。そして、現在の環境DNA分析技術の隆盛に繋がることになりました。
ちなみに最近の国内における研究成果を紹介すると、昨年(2020年)の11月、北海道大学の研究グループが「幻の魚」と呼ばれる大型淡水魚のイトウを対象とした道内120河川における環境DNA分析調査結果を公表しました。「イトウは少なくとも道内7河川に生息しており、そのうち2河川では過去に捕獲等の記録がなく、初確認であった。」という報告であり、道内河川の生物モニタリング関連業務に従事している私にとっては非常に興味深い内容でした。
上記報告事例のように、水中に漂う対象種(単一種)のDNAのみを精度よく検出する手法は「種特異的検出法」と呼ばれており、対象とする種専用のプライマー※1を設計する必要があります。
一方、近年では「網羅的解析法」と呼ばれる手法が大きな発展を遂げています。例えば魚類という大きな分類群においては、MiFish※2と呼ばれる共通のプライマーを用いて環境DNAサンプルを増幅させ、増幅した産物を次世代シーケンサー(NGS)※3で解析することにより、サンプル内に含まれている魚類由来のDNAを網羅的に検出することが可能になりました。この解析法は、従来の捕獲を主体とする生息分布モニタリング調査を補完し得る新たな手法として注目されており、環境省では二次的自然環境(里地里山)における淡水魚類調査への有効性、国土交通省では河川事業への適用性を検討しています。
※1:増やしたいDNA配列の両端に結合するように作られた合成DNAのこと。
※2:Miyaらによって2015年に発表された魚類用共通プライマー。水族館での性能検証の結果、飼育されている魚類の9割を超す168種の検出に成功しており、標準的な手法として世界的に利用が進むと考えられている。
※3:数千から数百万ものDNA分子を同時に高度かつ高速に読み出せる装置(NGS:Next Generation Sequencer)
図 種特異的検出法と網羅的解析法のイメージ
下表は環境DNA調査と従来の調査方法を比較したものです。環境DNAを生物分布モニタリング調査のツールとして用いる上での最大の利点は「調査の効率化」といえるでしょう。
ただし、環境DNA調査には課題もあります。その場所に生息しているはずの種が検出されない場合(偽陰性)や、その場所に生息していない種が検出される場合(偽陽性)があるのです。このため、分析結果を判読する際には、既存知見や専門家の意見等をもとに、妥当性を慎重に精査する必要があります。ここ数年、弊社には陸水域や海水域を対象とした環境DNA調査の実績が数件ありますが、ご多分に漏れず、分析結果には偽陰性や偽陽性があり、慎重な精査を要することになりました。
国の方針により、国内各地の生物分布モニタリングについては、効率化に向けて環境DNA調査の導入が急速に進展していくと思われます。弊社としては、従来調査で培ってきた生物モニタリング技術を維持・研鑽しつつ、環境調査のイノベーションともいえる環境DNA調査の経験・実績を積み重ねていくことで、希少種保全の推進、外来種対策の強化等、生物多様性の保全に一層貢献していきたいと考えております。
表 環境DNA調査と従来の調査方法との比較